ここ1週間気持ちが大波小波の「おでこでこぼこ」です
こんな時だからこその「マインドフルネス」を今日は届けていきたいと思います
僕は今までストレスに向き合うことに苦しんできました
ずっとストレスを振りほどこうとしたり、自分を必死に変えようとしてみたり
そんなことでも毎日「ストレス」はやってきました
解決策なんて探すが探すほど迷子になる一方で途方にくれるどころか家から飛び出しました
僕がストレスとうまく付き合うのは「何もしない」時間をつくることでした
息抜きをして「ありのまま」の自分を受け入れることが僕には必要でした
かと言ってなかなか自分を受け入れることも難しいと思います
それでも
自分を嫌っては見つめなおし嫌っては見つめなおしの毎日を繰り返しです
僕の伝えたいことのひとつ「自分を見つめ直す」こと
そのスタートを地点に立ってもらいたいと想い届けます
「マインドフルネス」とは
「今」「瞬間」
マインドフルネスを伝える上で大切なワードなので
ぜひ意識してください!
マインドフルネスを本で読んでみたらまるで「悟り」の説明のように感じます
「瞬間瞬間を意識的に生きる・注意を呼び起こす」
僕の読んだ本ではこう伝えていました
「悟りちっく」でしょ
だから僕はよく「ぼーっとしている状態を意識して行動する」って感覚で伝えます
しんどいことから逃れるために「ぼーっとする」だけでは一時的には消えるのですがおのずとまた同じ悩みは追いかけてきます
問題はさらに対面すると悩みが複雑になっていたり、大きくなっていたりすると自分が追い詰められた状態になります
だから見つめ直しには「ぼーっとする」ことに付け合わせて「意識」が大切なんですね
そんな僕にとって「マインドフルネス」はストレスをうまく切り抜ける方法です
ストレス・悩みを感じる発信地
ストレスを切り抜けるためには「ストレス・悩み」の発信地を知るが重要で
ようするに「自分の内側」に目を向けることが大事だと気づきました
「マインドフルネスは感じとる側=自分に目を向ける」ことなんです
自分がストレスをどの程度までコントロールできるかを知ること
そのためには「ものごとをどう見ているかを知る」ことが不可欠です
なぜならストレスの中には「自分自身の思い込み」「自作の不幸」が存在してからです
僕も「なんで自分だけが」「まわりに比べて」なんてしんどいことから逃れるようと付け焼き刃になっていました
自分でしんどいを膨らましていたんですね
中に何が入っているのかを取り除かずに見つめなおすだけで
膨らんだものは自然と息抜きになっていることを知りました
こころは自分だけのもの
最期に少しマインドフルネスとは逸れて「こころ」について伝えます
僕は傷ついている自分を誰かにわかってほしいといつもメッセージを発してました
でも「こころは誰にも形を見せずに隠れたもの」でした
僕にしんどいときは身体に対し、こころが解離している感覚がありました
「しんどい」ぐるぐると同じ所にいるようにこころだけ大きく切り取られているんですね
そんな状態にあったときに「相田みつを」先生の言葉が救われました
しあわせは いつも自分のこころがきめる
相田みつを
幸せの価値観は自分だけのものなので思い込み自身でとられ方は変わります
本人が不幸せと思えば不幸せです
本人が幸せと感じれば幸せです
幸せの「気づき」がこころを作られます
ご飯がおいしい、トイレに行ってすっくりした、ぐっすりと眠れた
周りばかりに捉われていた自分はそんなちっぽけなことからでよかったんです
敏感な自分にとってマイナスな地点でも少しずつプチ幸せを見つけられることが
こころの貯金へとなりました
今でもまだこころの借金はのこっていますが毎日の返済がこころを保つに値するんだと思います
最後に
今日は「マインドフルネス」について自分らしく伝えてみました
前より少し進歩した自分はまだまだ自分勝手のろくでなしですが前よりも他人の幸せも意識するようになりました
特に最近はコロナウイルスについて見直すことが多かったので
自分は他人の願う「幸せ」を持っていることに気づかされました
ほんとうに自覚が足りてないことにも後悔しました
息を吸って そして吐いて それだけじゃ喜べなくなって
欲しくなって あれもこれも あの人のも だけど
僕にあって君になくて 君にあって僕にないものがあるから
僕は君を君は僕を好きになれたんでしょ?
叶えた夢の数を数えよう 叶わない夢は誰かがきっとどこかで…
僕が立っているここはきっと誰かの願っている場所で
誰かがきっと今僕にとっての夢を叶えてくれている
僕もきっと誰かにとっての夢を叶えている
RADWIMPS「夢番地」歌詞引用 作詞・作曲:野田洋次郎
RADWIMPSさんの「夢番地」!!
「自分の今が誰かの居場所であること」
最後まで見ていただきありがとうございました
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