【日日是好日】”ありがとう”の語源を知ると小さなことでも感謝ができる

日日是好日
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「おでこでこぼこ」です。

今日はカレー鍋を食べました。シメにはチーズとご飯を入れてたら絶品でした!(^^)!

おいしいものを食べてるときってほんまに幸せですね。

最近、本で仏教のお勉強をしています。

その中で目に止まる話がありました。

お腹いっぱいの今日は「ありがとう」「感謝」について書いていきたいと思います。

「ありがとう」の反対とは?

感謝のことばをあらわす「ありがとう」

この反対の言葉は何なのかと聞かれたら、なんて答えますか?

「うれしい」の反対は「さみしい」

「明るい」の反対は「暗い」

気持ちの表す表現として、他の言葉ではすぐでてきますが、

なかなか「ありがとう」の反対って言われたら、僕は出てきませんでした。

この答えは『当たり前』だそうです。

これの理由は語源を知るって僕はさらに身近なことでも感謝ができるようになりました。

せやからみなさんも知ってください。

「ありがとう」の語源

さてさっそくですが「ありがとう」の語源は

「有り難い」

つまりは「あるといることが難しい」

「そんなことがあり得ることは難しい。滅多にない貴重なことだから、有り難い。」

これは仏教から来た言葉みたいです。

ひとつのお話があります。

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『盲亀の浮木(もうきのふぼく)』

お釈迦さんが、阿難(あなん)というお弟子さんに尋ねました。

「そなたは人間に生まれたことをどのように思ってるんだ」

するとお弟子さんは「大変喜んでおります」と答えます。

さらにお釈迦さんは問います。

「広い海に、百年に一度しか海面から頭をださない目の見えない亀がいてる。広い海には、一本の丸太が浮いている。丸太の真ん中には小さな穴があいている。この丸太の穴に、その亀は浮かぎ上がって穴に頭をいれることはあると思うか。」

阿難のお弟子さんは「有り得ないでしょう」と答え

「絶対にないといえるか」お釈迦さまは念を押します。

「何億・何兆年の間には、ひょっとして頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもいいでしょう」とお弟子さんは答えます。

ここでお釈迦さんはこう説きます。

「阿難よ。私たちが人間に生まれることは、亀が丸太の穴に顔を出すぐらい難しいことなんだ。有り難いことであるんだ。」

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お釈迦さんの言葉を見直します

有り難い

有ることが難しい、めったにないこと。

それは「人間に生まれるということは喜ぶべきことである」ということだと伝えています。

ふだん当たり前と思っているこの命が、あり得ず、有り難いことに「ありがとう」と感謝をすべきいうことでしょう。

僕もおばあちゃんがいなくなって、あたりまえにいた人を失い、その時はじめそばにいてくれるありがたさを感じました。

あたりまえでなくなったときに初めて、「感謝」を感じるんですね。

あたりまえに作ってくれた「ごはん」も

親から離れてみて、より「ありがたさ」を感じました。

「感謝の念」って「あたりまえ」から離れてみたり、足りなくなったり、

そんなことを感じてはじめて育まれていくんでしょう。

助けてくれること人に対し「あたりまえ」と思っている人は「ありがとう」とは言わないでしょうし!

時代によっても、世界を見渡しても、「有り難い」は変わってきますし、

お釈迦さんは他の動物ではなく、人間として生まれることに「有り難い」と説いてました。

時代が急速に進む中、小さな幸せを見つけるきっかけになればと想い

「ありがとう」の語源について、書いてみました。

みなさんはどう感じたでしょうか。

何か少しでもほっこりしていただけたら、幸いです。

ほな、今日はこのへんで。

「日日是好日」最後まで見ていただきありがとうございました。

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