どうも「おでこでこぼこ」です
コロナウイルスでの衝撃のツイートを読みました
おれんと@まんどらさんの
「父が亡くなりました。原因は新型コロナによる肺炎です。」
というツイートです。
父が亡くなりました。原因は新型コロナによる肺炎です。
— おれんと@まんどら (@OrentTreant) January 26, 2021
ブログに乗せるのは正直に悩みました。でも僕はこの記事で頭を打たれました。コロナ禍の「日常」とは何かを考え、自分の意識の愚かさを認め、感染症の中で「あたりまえ」のことを自覚しなければならないと痛感しました。
内容はツイートをから参照します
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お正月に実家に帰ってきた弟が新型コロナにかかって一緒に食事をしたことがきっかけで
父親がコロナウイルス陽性となり重症患者としてなくなった
弟さんは家を出たときはなんともなかったのですが実家に向かっている途中に発熱を自覚した
ただ じぃじじぃじと喜んでいる子どもたちを見て引き返せなかったとのこと
弟はしっかりとコロナ対策をして、消毒や家に来たあともマスクを着けており、しばらくして発熱がおさまったから一緒に食事をした
この結果が命取りになってしまった
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おれんと@まんどらさんの伝えたいこととは
みんな生活があるのだから、感染対策を気を付けてやっていくしかない。外食とかお付き合いもいろいろあるでしょう。でもたとえどんなに気を付けていても、やっぱりどこかに油断はあるものです。
だから、つらいけれど寂しいけれど、まだまだ親に会いに行っちゃいけない。自分は気を付けているから大丈夫、じゃないのです。ほんの少しの油断から、もう絶対に取り返しのつかないことになってしまうことがあるのです
おれんと@まんどら Twitterからのツイートより引用
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僕もコロナウイルスになり無症状で療養生活を送っていました
僕は濃厚接触者としてPCR検査をしたので分かったのですが
「無症状」のため身体に異変のない自分は検査をするきっかけがなければ
変わりなしに友達や親に会っていました
この記事を読むまでは
「まさか自分の親に移して死ぬことなんてありえない」ってやっぱりどこか思っていました
私の父親はたばこを吸っていますし、母はリウマチを持っています
コロナウイルスにかかっても若い人々は僕と同じように「軽症・無症状」なる人が多いようです
自分だけに目を向けると必ず油断が生じ
「自分の周りにいる大切な人」のことを思い浮かべることが行動を見つめ直すことにつながるんだと思います
一度かかったコロナウイルスは「もうかからないだろう」と油断をしていた僕がいます
僕にも大切な人がいてるように「誰かにとって大切な人」は周りにもいてることを実感しました
政府の言う”新しい生活様式”ってただ「3密避ける」だけではなくて
その奥に「大切な家族・家庭」があることを想定しなければなりません
僕の友達も今年になって赤ちゃんが産まれ初めて”親”になる方も多くいます
私の両親も孫が産まれおじいちゃん・おばあちゃんになっています
いつ終わるかわからない問題に立たされている人類は「不安をかかえ・わめき・爆発させる」ことでしょう
ドイツのメルケル首相は
「クリスマス前に多くの人に接触し、その結果が祖父母と過ごす最期のクリスマスになるなんてことはあってはなりません」と感情を表に出して国民に訴えていました
去年のおおみそかの日 新年に向けてのメルケル首相のテレビ演説を紹介します
「私たちは社会として、どれだけ多くの人が愛する人を失い、そして愛する人の最期の時にも寄り添うことができなかったということを忘れてはいけません。その痛みを和らげることはできないが、私は今も想いを寄せています」
「日日是好日」 最後まで読んでいただきありがとうございました
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