「おでこでこぼこ」です。
今日は自分の閉じこもりの過去を
見つめ直しました
毎日がくる朝の恐怖
みなさんは毎日がくることが辛かったことはありますか?
僕の閉じこもり時代は悲惨でした。
タイトルにもあるように「朝が恐怖」でした...
幼稚園から小学校ほんで高校まで毎日朝起きて、それで夕方・夜に家に帰るってそんなことがあたりまえになっていたもんだから、規則正しい日常に押しつぶされそうになっていました。
高校では朝練もあって遅刻なんて今までしたことがなかったのに、「起きるのがしんどい」っていうより「朝を迎えるのがしんどい」っていう感じ...
待ってもいないのに毎日・毎日朝が来ることがほんとうきつかった…..
僕にとって「日はまた昇る」って当時は恐怖そのものでした
こころを閉ざしていた自分には「明るい」だけで、身体が受け付けませんでした。
だから夕焼けが見えても、「なんでこんなしんどいのにお前は明るいねん」って夕日に喧嘩も売ってました。
そんなことを思っていたのだからブルーよりも黒のインクを一滴一滴と垂らしていき嫌気が漆黒に染まっていきました。
日常でもカーテンを閉めて部屋を暗くしてたのでそんな生活では気持ちも暗くなっていきました。
「本当の自分はこっちなの違うか」って思うようにもなり頭の中は”自分とは何なのか”の呪縛にはまり込みます。
「過去の自分とも違うし、周りの友達と見ても自分だけこんなにも違う」
そうなるとなんで自分がいてるのかが分からなくなります。
「自分の価値」そのものに捉われると頭の中でうずめきます
本当に足が奪われ、行動することを止めようとしていました。
「自分は何ものなのか」が永遠に引きずり込んでくるのです。
そんなことをしてたので親にも随分と迷惑をかけました。
父親は大学の授業を自分のバイトの給料で払っていたと聞いていたので留年が決まった時は唖然でした。
今まで親にも友達にも相談することがなかったので、ただただ暗くなっていく一方でした。
おばあちゃんも死んでしまったので本当に家でひとりぼっちになりました。
パニックになってトイレの水を飲もうとして、母親には何度も泣いていました。
「お母さんを困らせるなら出ていけ」と言われた時は家にも居場所が無くなったと感じ、えづきが止まらず、頭が真っ白になって埋もれるように身体が床になだれ込み、よだれの垂れ流しにもなってました。
今、あの時の自分を思い出して書いていますが、やっぱり家族に迷惑をかけたと思うと胸が痛くなります。ほんとうにどうしようもない自分だったと反省しています。
ただ当時の自分も助けを求められずに、もがくことしかできなかっただと思います。
・しんどい自分を変えようにも変え方が分からない
・誰かに助けてもらおうにも悩みを打ち明ける声のかけ方が分からない
そんな状態でした。行き止まり、生き詰まってました。
当時の自分を振り返って...
過去どうしようもない自分も、元気に過ごしています。
でも、やっぱり過去を見つめ直し、あの時はどうすれば良かったのかがよぎってきます。
今までの自分で行ってきた行動が、こうして自分に降り注いできたのですが、当時は「朝が来るのが恐怖に感じる」ことで精一杯でした。
外に出るのがダメになり、家族に頼れず、強くあたったり・あたられたりで家庭がダメになり、つながりが保てずに「個」の時間が続いたんだと思います。
その時間が長くなり、勝手に「自分を理解してくれる人はいない」と変換したのだと思います。
そうしてだんだんと「自分のことがわからない」って次は自分を苦しめていました。
その結果「明日を生きるのに、今を生きているのが限界」だったんだんです。
そんな閉じこもり状態でもこころの中では「何とかしないいけない」って感じてはいます。
でも、、
打ち明けられない、また何かすると自分に負担がかかるって逃げていました。
僕は最終的にはいっぱいいっぱいで溢れた結果家出を10日間することでなんとか行動はできました。
でも、行動もできない人もいるんだと思います。
そんな人には、表に出ろって言うこともできない...
だから、その人にとっての「居場所」を見つけることしかできないのだと思います。
僕自身は、アルバイトをしていたフィットネスクラブが「仕事を待っている」と言ってくれました。
それが僕がいてもいい場所に思えて、唯一の救いでした。
だから家に閉じこもっていているときは、自分自身が原因ですが、両親にまっすぐと向き合えることができなかったのですごいしんどかったです。部屋にいても胸騒ぎがしていました。
こころが「じたばた」としていたらやっぱりしんどいです
「こんな自分を親や周りはどう思われているんやろ」「こんなことしてたら将来どうなるんやろ」とか、、、
無理なときに無理をしようとするとダメになります。
今のままでも必死に生きていています。
”生き詰まることのできる場所”があれば僕は救われました。
そこでは否定もされず、閉じこもっていることを感じさせない居場所を作る!
そんな穴に入ってしまうことができれば少しは楽になれていました
受け入れてくれる環境を感じれば、閉じこもっていても明日がくることに恐怖を感じなかっただろうと過去から思えます。
僕がこうやって過去のことを伝えられるのも少しずつ少しずつと「自分に余裕ができた」からであって、閉じこもっている人には自分を見つめ直せなんて言えません、、、、
ただ、でも時間が解決する問題はあると思います。
僕はこうしておれるのも、日に日に時間が経ったからもあります。
本当に些細なことでも何かの幸せを感じれたらそれは、自分がよくなっているサインと思います。
だから、うつむいて上を見れないときは、下を見てでも小さなことの積み重ねで自分の身の丈にあったものを過ごすだけでも、十分なものに感じられます。
僕も過去の体験からでも、感じてもらえたらと今日は過去を載せました。
一部の共感でもなにか、同じような人に伝わればと思います。
しんどい過去も今の自分の支えになっています。
「日日是好日」です。最後まで見ていただきありがとうございました。
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