「おでこでこぼこ」です。今日もええ天気でした。
今日も、仏教もお勉強からお盆のお話をさせていただきます。
僕の家では、お盆の日にはお肉は食べたらダメという家庭で育ちました。
友達に伝えると「ええ~~~!!」ってひかれることもあったり、、、
おばあちゃんと迎え火・送り火でお線香やわらを燃やして
ご先祖さまのお迎え・お見送りを一緒にしたことが今でも思い出します。
お盆の日って、セミの鳴く暑い日に御詠歌を流したりで
そんなゆったりした時間が、子どもの頃は窮屈に思っていました。
でも今となっては、この独特なお盆のまったり感が逆にたまんないんですね。
そんなお盆の由来となったお話をお勉強してきたので聞いてください。
お盆の由来~盂蘭盆会(うらぼんえ)~
お釈迦様のお弟子さんのひとりに目連(もくれん)という僧侶がいてます。
目連さんは、修行を重ねていく上で神通力が得られ、人々から尊敬をされていました。
そんな中、通りすがりの景色から何年も前に亡くなったお母さんをふと思い出し、お得意の神通力を使って探してみることを決めました。
むむむむむ、、、!
まずは天国を探してみましたが、あれだけ自分を大切にしてくれたお母さんは極楽世界に姿は見つかりません。
天国以外の他の世界を次は見てみます。
むむむむむ、、、!!
お母さんは餓鬼道というところで逆さ吊りにされて飲み食いもできず飢えに苦しむところにいたのです!
目連さんは、神通力を使って食べ物を与えようとしても、与えたものは燃え上ってしまい、お母さんの口には届きません。
目連さんは、お釈迦様に相談をします。
「なんでこんなにも自分を愛してくれたお母さんがなんで餓鬼道で飢え苦しんでいるでしょうか?」
するとお釈迦さんは伝えます。
「母親は罪を犯して餓鬼の世界に落ちたんだ。その罪は”慳貪”である。」
慳貪(けんどん)
それは、他人に対してけちで、物惜しみをするということです。
ようするに
目連さんのお母さんは、我が子を愛するがゆえに、他のお子さんに対しては物惜しみをしていました。
我が子さえよければ、よそはどうでもええとの見方をしていました。
我が子を愛するあまり、外の子どもには、押しのけたり、退けたりとそんな歪んだ考えを持っていたこと罪を与えられたということでした。
目連さんはお母さんのために自分はどうすればいいかとお釈迦様に聞きました。
お釈迦様は
「夏の修行が終わるまでに、修行する僧侶みんなに自分の母親だけでなく、餓鬼道にいてる人を救う気持ちで食べ物を振る舞いなさい。そうすると母親も救い出すことができるでしょう」
と伝えられます。
これがお盆の由来であるそうです。
お盆のお話から学んだこと
「施されたら施し返す、恩返しです」
『半沢直樹』の大和田常務のあの有名なセリフです。
【施す】
「恵みを与える。あわれみの気持ちで、人が困っている状態を助けるような行為をする。」と「広く行きわたらせる。」の意味があるそうです。
目連さんの母親は、我が子を愛するあまりに、周りの子どもへ恵みを与えることができなかったことが罪となりました。
私たちが今、こうして生かされているのは、
先祖代々のおじいちゃん、おばあちゃん
同時に、
現在にともに生きている周りの人々がいて施されたことによってであるとのことを感じました。
我が子に対してだけでなく、自分の周りに関わる人への「恩返し」の気持ち
「施したら施しがえす」そんな行動を広く行きわたらせることが重要であると感じました。
ひとりの人へ施しすぎてばかりでは、現世では良くても、あの世では、罪になるのですね。
あの世は罪になってでも、「目連さんをひとりの子どもとして、立派に育ってあげた」という結果を見ると目連のお母さんは
立派な母親として成し遂げたとも僕は思います、、、
ほな今日は、こんな感じで
『日日是好日』最後まで見ていただきありがとうございました。
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