【メンタル】「生きがい」を求めて自分を苦しめる

心~こころ~
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休日にクラロワで5連敗してふて腐れた おでこでこです

緊急事態宣言で自宅待機でうんざりする世の中 生きがいを求めている人も多くいると思います

僕もかつて「生きがい」を求めている一人でしたが

「生きがい」って必要!?

過去の自分を見つめ直しこんなことを想うようになったので伝えます

落ちこぼれていたときってほんまに自分をしんどいように見せようとしたり

なんか自分だけが不幸やと思いこんだり

自分で自分を受け入れない日々で1日がほんまに長くしんどく感じることを思い出します

夢で留年時代に戻って目が覚めることがほんまにあります

「あっ今はちゃんと仕事してる」って現実に戻った自分にほっとします

そんな「生きがい」を感じる必要性を伝えたいと思います

形のあるものないもの

なぜ「生きがい」を考える必要がないと思うかというと

生きがいそのものに形なんてないからです

形のないものに対し人は非常に敏感にです

楽しい・うれしいと感じる「Happy」というものは人に備わっていると僕は思いますが

その上にあたかも存在するような「生きがい」っていうものは

非常にあいまいな言葉だと思います

僕はそのあいまいな存在を追い求めてさらにどん底まで沈んでいきました

そりゃ姿・形のないあいまいなものなのに追いつこうも

「生きがい」って何なのか分かりません

先ほども言いましたが「うれしい・楽しい」と想い感覚は僕はあります

生きがいを求め「悲しい・つらい」想いもしてきました

今感じると「うれしい・楽しい・悲しい・つらい」その想いだけで十分です

その先も後もありません 今感じていることがすべてだと思います

「生きがいを持って仕事をしろ」「お前には生きがいはないのか」

その人がいう僕の「生きがい」って何なんですか?

そもそもあなたの思う生きがいって僕のものですか?

苦しいときこそ僕は周りを見ていました 

しんどいときこそ周りを比べていました

尾崎豊さんの「僕が僕であるために」歌を紹介あります

” 僕は僕であるために勝ち続けなきゃならない
 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
 僕は街にのまれて 少し心許しながら
 この冷たい街の風に歌い続けている      ” 
       尾崎 豊「僕が僕であるために」

葛藤の中「正しいもの」に対して「少し心許しながら」と歌っています

僕自身この歌から

「自分が自分であるためには 世にのまれながらでも自分の感じるままを受け入れる」

あいまいなものに対して苦しみを抱く必要はなく感じるまま自分に問いかけていけばよいと

あの時の「生きがいとう不確かなものを求めていた自分」に届けばと想います

あとがき

今日は僕の想う「生きがい」について書いてみました

みなさんはどう感じたでしょうか?

批判でも何か心が動いてくれたらうれしいです

ひねくれものの僕ですが こんなひねくれた頭の産物を

みなさんにもお付き合いいただけたらとおもいます

最後まで見ていただきありがとうございました

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