【記憶】おばあちゃんとの土産話

私の寄り道散歩
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今日はめずらしく真面目なおでこでこぼこです

もうずっとずっと書きたかった「おばあちゃん」ことをかきます

おじいちゃんは僕が産まれたすぐ亡くなっちゃったので記憶にないですが

ただ「おばあちゃん」とは物心がついたときからずっと一緒にいました

公園に虫取り行ったり幼稚園のお迎えにきてくれたり一緒に相撲を見たり...

お盆に線香を炊いてご先祖さんを迎えにいったり、病院へ車椅子を押して送ったり、、、

どてかぼてゃみたいなまんまる姿のおばあちゃんに

笑わせてもらったり、八つ当たりしたりと

いろいろな記憶が想い出のパッケージとなっています

ぜひ僕とおばあちゃんとの土産話をみんなにもおすそ分けするので

ぜひ最後まで読んでください

僕とおばあちゃんのむかしばなし

おばあちゃんはお天気キャスター

どのアナウンサーよりも「おばあちゃん」の方がキャラクターがたっています

まんまるの身体でぺちゃくちゃと歩くおばあちゃんは

学校に行くときに「傘を持っていきや」とお天気を伝えてくれます

おばあちゃんがいるから天気予報なんて見なくても大丈夫!

学校へ行って僕だけ傘を持ってきててもへってゃら

帰るときには雨がふっていてもおかまいなし

そんなお天気キャスターおばあちゃんでいいんです

天気は予報なんで結局はみんなの気分で曇ったり晴れたりするでしょ

お尻からガマガエルを踏んだ音がした

「ぶゔぃ~ びちゅ~い ぼぴぅ」

歩きながらお尻から音をだすおばあちゃん

あまりにも音が出るもんだから聞いてみると

おばあちゃんは耳が遠いから音が分からないそうです

そんなことを不思議に思いながらもある日

テレビを見ていてまん丸背中が僕を横切ると

「げこぐしゅえぇ~ん」

お尻からガマガエルを踏んだ音が!!

急いで目を走らせると横顔がなぜかにんまり

笑いをこらえぺちゃぺちゃ足を部屋に運ばせるおばちゃん

香りだけは部屋に置いてきぼりにしていくのです

うちのトイレの神様

夏のクーラーが効いた部屋でおばあちゃんとふたりっきり

テレビは音楽番組で植村香菜「トイレの神様」が流れています

おばあちゃんとの想い出をギターで弾き語りながら10分間ある曲を

フルに心を込めて歌っていました

なにげなく画面をおばあちゃんと一緒に眺めるだけで

僕はじーんっと心にきてました

「トイレにはそれはそれはきれいな女神さまがいるんやで~」

感動している横でサビにもかかわらずおばあちゃんは立ち上がります

さらにおばあちゃんはぺちゃぺちゃと足を鳴らし帰ります

「最近の歌はわからんわ」って捨てセリフを吐いて

じーんっと来ていた僕は腹を立てながらも歌を最後まで聞きました

「なんでおばあちゃんわからんの?」ってご立腹ながら

トイレの扉を開けると

おばあちゃんが下半身丸出しのかぼちゃ尻をあらわにトイレの水を流していました

あまりの衝撃を隠しきれず、トイレの水が流れる音を聞きながら

扉を閉める音を消したままひっそりと部屋にもどりました

一人テレビをみつめ頭にさきほどのメロディーが流れます

「トイレにはそれはそれはきれいな女神さまがいるんやで~」

”うちはトイレの女神はおばあちゃんや”ぼそっと心で唱えました

うちのトイレにはきれいな神様はいませんがおばあ様がどっすりしています

...........................

以上おばあちゃんのむかーしむかしばなしでした

おばあちゃんよりお母さん

そんな僕の素敵なエピソードを残してくれるおばあちゃんのことが大好きです

でも、、、やっぱり最終的にはお母さんの方へ偏ってしまいました

若い僕には嫁姑問題なんて知りませんでした

子どもの時から学校で「みんなと仲良くしたい」症候群の僕

自宅でも家族全員を同じ気持ちで好きでいたいと思っていました

だから

おばあちゃんが洗ったお皿をもう一度お母さんが洗いなおしたり

おねえちゃんが畳んだ洗濯物をたたみ方が違うので位置からやり直したり

お父さんがおばあちゃんのことを強く言ったり

みんながおばあちゃんのことをイライラしているのを

間近で見てるのはつらかったです

しかし、、、僕はおばあちゃんの味方はできませんでした

それどころか

逆におばあちゃんに強くあたったり、声をかけてくれても平気で無視もしました

あの時の自分がほんまに嫌いです

それでも気持ちがしんどくて大学に行けなくなった身体を

おばあちゃんだけは心配してくれました

お腹が痛くて盲腸になる前

おばあちゃんだけが僕の痛みに一声かけてくれました

なぜかおばあちゃんの言葉はすっと心が軽く感じました

おばあちゃんの言葉がなければもっとひねくれてます

おばあちゃんが優しく寄り添ってくれたことで

僕の中に「人のために想い合える自分がいてるんだ」と心から思います

だんだん弱ってくるおばあちゃん

親との関係が複雑な中、盲腸が治ったからといってもひねくれた性格は治りませんでした

おばあちゃんの身体がだんだんと弱り

腎臓が悪くなったり、ベッドからこけて腰の骨を折れたり

自分のあるがままを貫いてきたおばあちゃんがついには自分の部屋でしんどいことを叫んでいました

そんな姿を初めて見て

はじめてやっと「おばあちゃんをなんとかしやなあかん」って思いました 遅いですよね...

学校を授業をさぼる理由をおばあちゃんを大学病院へ送ったりと透析についていったりと

少しずつ幼い時みたいにおばあちゃんとの二人っきりの時間がふえました

昔と比べて話すことは減りましたがそれでもおばあちゃんは僕に病院で余ったお金をくれました

おばあちゃんの病院へ行くタクシー代や病気したときのためにためておけばいいのに

当時のそのお金の使い道も覚えていません

病院へ行って車椅子を押す背中から

まんまるのおばあちゃんもだんだんと身体が小さくなり痩せていることを感じていました

おばあちゃんごめんなさい

だんだんと弱るおばあちゃんが病院を転院しました

お見舞いの最初のころは他の人と対応が違うと僕に文句をいっていたおばあちゃんが

個室で酸素マスクをつけています

息切れ強くて見るからにしんどそうでした

僕のことはぼんやり分かっているようで僕は習いたてのふくらはぎのストレッチをして

「気持ちいいわ」って聞けたのがおばあちゃんの最期でした

………………

亡くなる前日 

僕は母親に大学終わってからおばあちゃんに会いに病院へ連れていくように伝えられていました

その時は授業終わり大学の友達から自宅に誘われて

病院へ行かないといけないのも分かってながら友達の家に足を運びました

結局その日は病院へは行かずに

翌日の早朝おばあちゃんは死んでしまいました

まだ暖かい手の温もりを握っては病院へ行かなかった後悔が後を絶ちません

「おばあちゃんごめん!」伝えてもおばあちゃんにはもう届きませんでした

おばあちゃんはあの時助けてくれたのに僕は会いに行きませんでした

頭の中で「もう会えない」という現実がずっと頭にうずめきます

いくら泣いてもおばあちゃんとは

ストレッチをしたときの「気持ちいいわ」を最期にもうお別れでした

あれからずっと今までも後悔だけが心の表面から深部までうずくまっています

一生これからも消えることはないでしょう

むしろ消えないで心の奥底に住み続けてほしいです

さいごに

ここまでおばあちゃんとの話に付き合っていただきほんまにありがとうございます

おばあちゃんからの想い出はほんまに僕を支えてくれてます

一緒に過ごした濃厚な時間があるから自分の記憶になるし

言えなかったことや後悔することも自分の胸に残るんだと思います

あの日会いに行けなかったことをまだ置き去りで宙ぶらりんのままです

今からでもおばあちゃんにあの日を謝りたい思いでいっぱいです

今しっかりと働いている姿も見てもらいたいです

それでも生きていると

日に日におばあちゃんのことを想い出すことは薄れていきます

こないだ実家に帰るとおばあちゃんの部屋にお父さんが寝ていて

なんかだんだんとこの部屋も変わるなあって

なんか不思議な気持ちと同時にさみしさも感じました

お墓参りも実家を離れたためたまにしかいきません

だからこうやってふとした時にまた想い出して笑ったり泣いたり

そんな想い出を誰かに伝えたりしたり・このブログに載せたり

そんなことでしかおばあちゃんに想いを果たせない自分です

ひとつあいみょんの歌を最後に載せて終わりたいとおもいます

おばあちゃんへの気持ちにぴったりの歌です

ぜひ聴いてください

Happy
(作詞作曲:あいみょん 曲「ハッピー」)

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